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無断○○禁止

 巷では「無断リンク禁止」「無断トラックバック禁止」など様々な「無断○○禁止」が横行しているらしい。無断じゃないけど「素通り禁止」(足跡が残る系のブログやソーシャルネットワークで、日記を読んだのにコメントを残さない「素通り」を禁止するものらしい)、なんてものもあるらしい。

本当にある無断○○禁止(by ekken

無断リンク禁止とか無断トラックバック禁止とか、アレなローカルルールはよく見かけるが、中でも希少価値が高いのが「無断コメント禁止」

 アレか、「急に電話してくるなよ!」と一緒なのか。実生活に置き換えるならば「無断挨拶禁止!」みたいなものなのか。挨拶する前に何か合図を送らにゃならないのか。目の前で挨拶する前に遠くから手を振るとか?いやいや、手を振るのも挨拶の一つと考えるならば、それも前もってお断りを入れなければならない。じゃなんだ。ブロックサインか。手旗信号か。んー、それも挨拶っぽい。

 そうだ。念か。念を送るのか。「んーーー(念を送るために気張る)、これから挨拶(コメント)送るよーーーー(再び気張る)」みたいな。

 

 折角考えたのに損をしたような気分になった今日(某所の4月1日ネタを逃した)。

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誤解

 ネットをうろうろしていて最近気になることがアレコレあるのだけれど、それをまとめて記事にしようとしたら回りくどくて自分でも何が言いたいのだか不明になった。なので、「気になったことのみ」思いつくままにつらつらと。

誤解する側される側

 誤解が生じるのはこの世の中避けられないものである。そして大概の場合、誤解が生じれば不愉快な結果が待っていたりする。

 誤解の原因が突き止められると避けられない誤解も幾分避けられるものである。では、誤解の原因は何処にあるのか。

 誤解の原因を「誤解する方が悪い」としてしまうと、誤解する側が誤解しないように注意するしかない。だが、誤解する側はしようとして誤解しているのではなく、誤解する要因があるから誤解するのである。その要因は誤解する側にある場合もあるが、誤解される側にある場合も多い。

 誤解された側は何処の部分で誤解されたかを考えるべきである。つまりは「誤解した立場」になって考えるのである。そこで「なるほど、自分は間違ってはいないが、この部分が誤解を与えるのだな」と気づけば、誤解した相手に向かって「それは誤解だ」と言える。また、その誤解を取り除くことも出来るのである。

 これは「誤解した側」ではなく「誤解された側」でしか出来ない。何故なら誤解した側はそれが「誤解」だと気づいていないからである。

 勿論、世の中にはむりくり誤解する人(曲解する人)も多いわけで、その人相手に誤解を解くのはある場面では無駄な努力になってしまう場合もある。また、誤解を解く必要も無い場合もあるかもしれない。

 だが、頻繁に誤解を受ける人(または受けていると感じている人)は、まずは「誤解される要因」を一つずつ「誤解する側」の立場になって考えると良いかもしれない。そうすれば誤解されるケースを突き止められるし、誤解されると言う危険予測ができた上に、危険回避もできるわけである。

 ということは、根本的な部分で、誤解された側が「誤解されている」と早い段階で気づかなければならないわけである。それがわからないと所謂一つの「泥沼」化してしまうのであった。

 「誤解する方が悪い」と言い切り誤解された原因を考えない人は、むしろ周囲の反論などには目もくれず(反論に対する反論などもせず)、我が道を突っ走るのが一番である。ひたすら自己の正当性を信じ、その正当性を証明するなどと言う努力もする必要は無いのである。

 原因は自分の中に(も)ある、という考え(姿勢)をするかしないかによって、避けられる泥沼はかなり多いはずだ。

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