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インターネットの中の一期一会

 当時私はwebサイトを運営し、細々と(そして時々は派手に)駄文を書いていたのであるが、日々の文章を書くことに関して、一番に考えていたのが「初めて私の文章を読んだ人にでも、面白いと思ってもらえる物を書こう」であった。現在はさておき、当時は「多くの人に私の文章を読んでもらいたい」と思っていたし、「繰り返し読みにきてもらいたい」とも思っていたので、例えばサイト内に用意された私のプロフィールを読まなくても過去ログなんかを読まなくても、その日その時目に触れた文章を読んだだけでもきちんと内容が(そして私の意図が)伝わるように書こうと心がけていたのである。勿論、日頃読んでもらっている人にはそれなりにこっそりとネタを用意するのも忘れずに。

 その時私が感じていたのは、このどでかいインターネットという世界の中で、ほんの片隅にいる私の文章にたどり着いた人に対しての「一期一会」のようなものである。それほど膨大なアクセス数を稼いでいたわけでもないし、例え毎日長文を更新し続けていても、今日読んだ私の文章を同じ人がまた明日も読みに来てくれるとは限らないのであり、今日私の文章を読んだ人が、昨日の文章を読んでくれているとは限らないからである。

 そんな姿勢とは別に、思えば当時の私は気に食わない記事に出くわすとやたら噛み付いていたものである。「気に食わない記事」というのは今でこそそう思えるのであるが、当時としては「納得いかない」「反論がある」などと真っ当な意見(もしくは議論)をしているつもりであった。思うに感情的な部分が多かっただろうに、当時の私は極めて論理的に語っていたつもりであったのだ。そう、所謂「言及」していたつもりでいたのである。

 勿論そんな程度だったので、自分の未熟さや馬鹿さ加減を思い知らされ、へこんだり落ち込んだりした結果になるのは当然のことである。論理的に語りたい、きちんとした議論をしたい、そんな風に思いながらも、感情で文章を書くことが多かった。勿論論理も大きく破綻していたに違いない。

 そんなことを1年近く繰り返し(勿論そんなことばかりしていたわけではないが)、また、こちらの意思とは関係なく食って掛かられたり、妙な反応をされたりした挙句、散々沈んだり傷ついたり疲れ果ててしまった結果、たどり着いた自分の中の結論は「書きたいことだけ書く」であった。「書きたいことだけ書く」ために、納得いかない、反論したい気持ちがあっても書かずにいることにした。

 そんな風に言うとあからさまに矛盾していると思われるかもしれないが、「書きたいことだけ書く」ために「書きたくないことは書かない」ことに決めたのである。他人の記事に対する反論や議論、自分の意見は当時の私にとって「書きたくないこと」となったのだ。何故なら「楽しく書きたい」と同時に、自分の文章の一番の読者は自分自身であると思っていたので、後から読み返して楽しくない文章などは書きたくなかったのである。後から読み返すのも嫌な文章など、私が書きたいものではなかったのである。

 で、書く側の自分はそう言った姿勢に変化して現在に至っているわけであるが、読む側の自分はどうであろうか。納得いかない記事、反論したい記事などそれこそ毎日のようにお目にかかっているのである。「書きたくないことは書かない」であるが、それは「何も思わない」というわけではない。思う機会は以前に比べてはるかに多い。何故といってblogというお手軽便利なツールの普及のおかげで、クソみたいな記事(暴言)も山ほど増えたからである。(勿論、増えたのはクソみたいな記事だけではないが)

 クソみたいな記事(再度暴言)の中には、反論したくなる記事も時には含まれている。その意見が理解できなかったり、納得いかないものもある。そんな時に私はどうするかといえば、自分の中で気が済むまで(納得いくまで)関連記事や過去の記事まで遡って読みまくるのである。そして何らかの結論が出てすっきりして終わるのである。

 大抵の場合、その「何らかの結論」というのは数通りに決まっていたりするのだが、最近やけに多いのが「環境の違い」と「そうか、この人馬鹿なんだ」であったりする。

 「環境の違い」という表現は実はちょっと微妙で、多くはその人と私のインターネットに立つ環境の違いであったりする。もっと砕いて、というか正直なことを言えば「WWWに対する認識の違い」である。

 ある人が最初に出会ったコミュニティが特殊なものであれば、場合によってはその人はそのコミュニティの中をWWWとして認識しまうことがある。これは私もちょっとだけ分かる部分があって、要は「私の家の常識、あなたの家では非常識」である。勿論私は「ホームページは家と一緒」などという認識はなく、まぁ、これは例えである。

 私が育った家では風呂上りには風呂場を出る前に軽くタオルで身体を拭くのが常識であったが、夫の人は身体を拭くことなく風呂場を出る。これが彼の家族も同じであり、それは私の育った家では非常識の部類に入ることであったが、彼の家にとっては常識だったのである。夫の人に言わせれば、私(と私の家族)にとって常識であると思っていることが、彼(と彼の家族)にとっては非常識なこともある。これは育った環境の違いであるので、致し方ないのである。

 私が最初に接したコミュニティもある部分特殊で、ただ私はその特殊な部分に違和感を覚えたので、割と初期の段階で抜け出すことができ現在に至っているのである。インターネットに触れて最初に出来上がってしまった認識を崩すのは難しいのかもしれない。私が最近良く感じる「WWWに対する認識の違い」はそこら辺に原因があると思っている。そうなってしまうと、何をどういっても「自分の認識が常識」を覆すことは難しく、私の中での結論は「立っている場所が違うのねぇ」であるのだ。そこに結論がいくと、すっきりと納得してしまうのである。つまりは「諦め」であったりする。

 何も私の認識いること全て正しいとは思っておらず、間違った認識もあるかもしれない。ただし、根本的な部分で私は「人はそれぞれ」という部分もあり、例えば無断リンクを禁止する人も「ああ、それぞれなのねぇ」と諦めてしまう。(勿論、無断リンクを「禁止」するのは大間違いでしょ、という思いはあるが)

 もう一つの「この人馬鹿なんだ」というのはもっとはっきりしていて、最初の段階では判断できないものの、理解できない、納得いかない記事を読むと、全てとは言わないがある程度まで過去ログを読んでみたり関連記事を読んでみたり、果てはコメントのやり取りまで読んで、最終的な結論は「なるほど、この人馬鹿だったんだ」なのである。馬鹿だから論理が破綻する。馬鹿だから論点がずれる。馬鹿だから矛盾している。馬鹿だから知識があるつもりで実は間違っていたり全く知識が無かったりする。馬鹿だから自分の世間は広いつもりで実はたいそう狭いことに気づかない。そうかそういうことか。馬鹿だったら仕方ない。納得いかないのも理解できないのもこの人が馬鹿だからだ。

 甚だ乱暴である。だが、そう結論づいた瞬間にすっきりするのである。だから気にならなくなるのである。

 そう結論付けてしまった記事を書く人の文章に対しては、その後興味も無く気にもならなくなる。もしかしたらその話題以外の部分では興味が惹かれることもあるかも知れず、もしかしたら別の話題だったら私が好きになる文章かも知れず、それでも、何処かの誰かが言及したり取り上げたりしなければ(つまりは話題にならなければ)、二度と自分から進んで読みには行かないのである。

 例えばもしそれで私が好きになるかもしれなかった文章に出会えなかったとしても、この広いインターネットの中、まだまだ好きになるはずの文章に出合える機会はいくらでもあると思っているのである。

 

 ちなみに、このblogも年が明けてしばらくしたら2年になるのであるが、現在の私は上記で書いた当時のように(実は6年ほど前)「初めて私の文章を読んだ人にでも、面白いと思ってもらえる物を書こう」という姿勢が、無いでは無いが、有るとも言えず、といった状態である。毎日更新していた当時の私とは、きっと別人であるのだ。(意訳:面倒くさくなった)

 そんなところで納得してみよう。


この記事へのコメント

 イッキ行くかい?
  • 2006/12/08
  • daniel ♦JalddpaA
  • URL
  • [ 編集 ]

(かなり狭い範囲ではありますが)ネットを徘徊しておりますと
「それは違うだろう」 と思う時と 「それそれ。その通り!」
と思う時がある訳なんですが、
前者の場合、大抵私より書いてる人の方が頭よさ気に感じてしまいます。

>納得いかないのも理解できないのもオレが馬鹿だから !?

 飲みすぎに注意しましょう
  • 2006/12/09
  • cyaimi ♦qPsYJoI2
  • URL
  • [ 編集 ]

返信しようと何度も書き直していたら、なんだかいろんなことに気づいたような気がします。気づいたような気だけな気もします。(どっちだろ)

>納得いかないのも理解できないのもオレが馬鹿だから !?
そうなのかも、私もそうなのかも。

ただ、私の中で「馬鹿だから」で結論付けてしまうのは、ものすごく単純に私が面倒くさがりだから、と言うのはあります。

それよりも、私自身が危ないのは「それそれ。その通り!」と思う時。
自分と同じ意見に出会ってしまうと、「同じ意見の人がいるから正しかったんだ」と思い込んじゃうからです。
「同じ意見の人がいる」=「正しい」
じゃないのにそう思い込んじゃう自分が時々危険です。

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